『ふつつかな悪女ではございますが』の作画は、漫画版・アニメ版ともに人物の表情と華やかな中華後宮のビジュアルを大きな見どころとして楽しめる仕上がりです。
2026年7月12日から放送中のTVアニメでは動画工房がアニメーション制作を担当し、漫画版では尾羊英さんが作画を担当。原作イラスト、漫画、アニメではそれぞれ絵の役割が異なるため、「どれが一番きれい?」ではなく、玲琳と慧月の入れ替わりをどう絵で表現しているかを見ると本作ならではの魅力がよく分かります。
『ふつつかな悪女ではございますが』の作画はきれい?結論をチェック
結論から言えば、『ふつつかな悪女ではございますが』はキャラクターの美しさだけでなく、表情・姿勢・衣装まで含めて人物像を描き分けることに強みがある作品です。
原作は中村颯希さんによるライトノベルで、書籍版のイラストをゆき哉さんが担当。コミカライズでは尾羊英さんが作画を手がけ、TVアニメではキャラクターデザインを菊池愛さん、アニメーション制作を動画工房が担当しています。
つまり、一口に「ふつつかな悪女の作画」といっても、実際には大きく3種類があります。
- 原作小説:ゆき哉さんによるイラスト・キャラクター原案
- 漫画版:尾羊英さんによるコミカライズ作画
- TVアニメ:菊池愛さんのキャラクターデザインを基に動画工房が映像化
特に重要なのが、漫画版とアニメ版では単純に「きれいな女性を描く」だけでは成立しない点です。
本作の中心にあるのは、黄家の雛女・黄玲琳と朱家の雛女・朱慧月の身体が入れ替わる物語だからです。
本来の玲琳は「殿下の胡蝶」と呼ばれるほど美しく聡明で、病弱ながら周囲から深く愛される存在。一方の慧月は、猫背や不器用な化粧、癇癪を起こしやすい性格などから「雛宮のどぶネズミ」と蔑まれてきました。
ところが入れ替わると、慧月の身体に宿った玲琳が背筋を伸ばし、適切に装い、堂々と振る舞うようになります。
そこで見えてくるのが、同じ身体でも中身が変われば「美しさ」の印象まで変わるという面白さです。
筆者は、これこそ本作の作画を見るうえで最も大切なポイントだと感じています。顔の造形だけを比べる作品ではなく、姿勢、目線、口元、身振りまでを使って「この身体の中に今いるのは誰なのか」を表現しなければならないんですね。
2026年7月22日時点の検証記事でも、第2話までの範囲について「作画崩壊が続いている」と断定できる状況は確認されていませんでした。
さらに2026年9月14日時点では第10話「呪いも半分こ」までスタッフ情報を確認でき、複数話にわたって作画監督・総作画監督が配置されています。
少なくとも公開資料から見る限り、「作画がひどい」という先入観だけで避けるタイプの作品ではありません。
むしろ、玲琳と慧月の人格を絵だけでも感じ取れるかに注目すると、作画の面白さが一段深く見えてきます。
漫画版『ふつつかな悪女ではございますが』の作画担当は誰?
漫画版『ふつつかな悪女ではございますが ~雛宮蝶鼠とりかえ伝~』の作画を担当しているのは尾羊英さんです。
原作は中村颯希さん、キャラクター原案はゆき哉さん。『月刊コミックZERO-SUM』で2021年2月号から連載され、単行本は2026年3月31日時点で10巻まで刊行されています。
ゼロサムオンラインでも連載版が公開されており、2026年8月28日から9月25日まで五十四話が公開。次回更新日は9月25日と案内されています。
漫画版を作画目線で見る場合、最大の強みはやはり入れ替わった後の人物を静止画としてじっくり観察できることでしょう。
玲琳と慧月は、単純な「美人」と「地味な少女」という関係ではありません。
慧月はもともと背が高いことをコンプレックスに感じて猫背になっており、化粧も十分に教えられていませんでした。本人も「自分は他の雛女より劣っている」と思い込んでいます。
しかし玲琳が慧月の身体に入ると、その評価が一変します。
背筋を伸ばし、似合う化粧を施し、堂々と舞う。その姿を見た人々が美しいと感じることで、読者にも「慧月の素材が悪かったわけではない」という事実が視覚的に伝わってきます。
ここが、僕が漫画版のビジュアルでかなり面白いと思うところです。
作画そのものがキャラクターの自己評価をひっくり返す装置になっているんですよね。
文章だけなら「慧月は本当は美しい」と説明できます。しかし漫画なら、同じ顔と身体を大きく変更することなく、目線や背筋、髪、化粧、表情の付け方によって印象そのものを変えられます。
これは入れ替わり作品と漫画という媒体の相性がとても良い部分です。
さらに『ふつつかな悪女』では、玲琳の鋼のような精神力も表情のギャップにつながります。
彼女は病弱な身体で長く死と隣り合わせに生きてきたため、普通なら絶望するような状況でも、慧月の健康な身体を得たことをむしろ喜んでしまいます。
殺人未遂の罪を着せられ、処刑の危機に立たされるという重い状況なのに、中身の玲琳だけは妙に前向き。
この状況の深刻さと本人の表情の明るさのズレが、本作特有のコミカルさを生み出しています。
ダ・ヴィンチWebでコミカライズを評したayan氏も、本作について入れ替わりだけではなく、妬みや憎しみといった人間的な感情が物語に深みを与えていると評価し、病弱で健気に見えたヒロインが実は鋼のメンタルを持っている点を面白さとして挙げています。
こうした感情の反転は、漫画では表情が止まった一コマとして残るため、読者がじっくり味わえるんですよね。

アニメ『ふつつかな悪女ではございますが』の作画スタッフは?
TVアニメ版では、動画工房がアニメーション制作を担当しています。
主要スタッフは、監督・音響監督が山﨑みつえさん、シリーズ構成が中村能子さん、キャラクターデザインが菊池愛さん。色彩設計は石黒けいさん、美術監督は矢口聖奈さん、撮影監督は福岡由惟さんです。
さらに、美術設定を鈴木俊輔さんと平澤晃弘さん、プロップデザインを服部未夢さんが担当しています。
作画だけを見るとキャラクターデザインや作画監督に目が行きがちですが、『ふつつかな悪女』のような中華後宮ファンタジーでは、人物・衣装・建物・小物・色彩が一体になって画面の華やかさを作ることが重要です。
雛宮には黄・朱・藍・金・玄という五家から雛女が集まります。
黄玲琳と朱慧月だけでなく、金清佳、藍芳春、玄歌吹など、それぞれ立場も雰囲気も大きく異なる人物が登場します。
金清佳は美や芸術を重んじる煌びやかな人物。
玄歌吹は武芸を得意とする凛とした雛女。
藍芳春は小柄で愛らしく振る舞います。
こうしたキャラクターを同じ「豪華な後宮衣装」で埋没させず、シルエットや表情、立ち姿から違いを感じさせることが、ビジュアル面ではかなり大事になります。
公式サイトのギャラリーが非常に充実していることも注目ポイントです。
公開されているものには、メインビジュアルだけでなく、第5話エピソードビジュアル、ティザービジュアル、季節ビジュアル、AnimeJapanスペシャルビジュアル、キャラクタービジュアルなどがあります。
さらに、
「黄玲琳 ※入れ替わり後の姿」
「朱慧月 ※入れ替わり後の姿」
というキャラクタービジュアルまで用意されています。
これ、実はかなり本作らしい展開だと思うんです。
普通のキャラクター作品なら「玲琳のキャラ絵」「慧月のキャラ絵」で終わります。しかし本作では、身体と人格の組み合わせが変わることでビジュアル上の意味まで変わるため、入れ替わり後を独立して見せる価値があります。
さらに公式ギャラリーには、「原画ビジュアル」も掲載されています。
この原画ビジュアルは2025年12月23日に初公開されました。
当時はアニメが2026年4月放送予定と告知されており、入れ替わる前の玲琳と慧月の表情を原画で切り取ったビジュアルが披露されています。
その後、アニメは制作進行の遅延によって放送時期が変更され、最終的に2026年7月12日からテレビ東京系列ほかでスタートしました。
原画そのものを宣伝ビジュアルとして前面に出したという点からも、制作側が完成したカラーイラストだけでなく、線で描かれる人物の表情そのものを作品の魅力として見せようとしていたことがうかがえます。
アニメの作画は安定している?第1話から第10話の制作体制を確認
2026年9月14日時点では、第10話「呪いも半分こ」までスタッフクレジットを確認できます。
第1話では菊池愛さんが総作画監督を担当し、谷口淳一郎さん、武藤幹さん、山口仁七さん、鈴木彩乃さん、工藤彩加さん、藤原奈津子さんらが作画監督として参加しています。
さらに第1話には、橋本敬史さんがエフェクト作画監督としてクレジットされています。
第2話では豊田暁子さん、第3話では谷口淳一郎さんと竹本佳子さん、第4話では松下郁子さん、第5話では武藤幹さんが総作画監督を担当。
第6話以降も谷口淳一郎さん、山口仁七さん、新村香奈さん、豊田暁子さん、朱里さん、松下郁子さん、錦寛乃さん、武藤幹さんなど、各話ごとに総作画監督・作画監督が配置されています。
ここで注意したいのは、「作画監督の人数が多い=作画が悪い」と単純には判断できないことです。
TVアニメでは一つの話数に多数のカットがあり、キャラクターの顔や体格、衣装などを整えるために複数の作画監督が参加するケースがあります。
制作スケジュールや分担方法にも左右されるため、クレジット人数だけを見て「制作が崩れている」と断定するのは早計です。
逆に、作画を評価するときは完成画面そのものを見る必要があります。
『ふつつかな悪女』の場合、とりわけチェックしたいのは玲琳と慧月の入れ替わり後でも、それぞれの人格が画面から感じられるかでしょう。
アニメ版では身体そのものは入れ替わった人物側の姿です。
そのため「玲琳だから玲琳の顔に描けばいい」という方法は使えません。
慧月の身体なのに玲琳らしく見せる。
玲琳の身体なのに慧月の不安や苛立ちを感じさせる。
この難題を、目線、姿勢、表情のタイミング、芝居、声優の演技まで組み合わせて成立させる必要があります。
黄玲琳を演じるのは石見舞菜香さん、朱慧月を演じるのは川井田夏海さんです。
アニメでは映像だけではなく話し方や間も加わるため、漫画とは異なる方法で「身体と中身のズレ」を表現できます。
筆者としては、ここを単なるキャラクター作画の美麗さ以上に評価したいです。
顔が整っているか、背景が豪華かというチェックだけでは、本作の映像表現の半分しか見ていないように思います。
同じ身体を使いながら別人に見せる芝居の作画こそ、『ふつつかな悪女』ならではの見どころです。
漫画とアニメではビジュアルの魅力がどう違う?
漫画版とアニメ版には、それぞれ違った強みがあります。
漫画版の魅力は、一枚の絵を自分のペースで眺められること。
表情、装飾、髪型、衣装、姿勢などを止まった状態で確認できるので、「なぜこの慧月はいつもと違って見えるのか」といった細かい違いを追いやすいです。
特に入れ替わり作品では、これはかなり大きな利点です。
「身体は慧月なのに、表情は玲琳っぽい」という情報を、ページを戻しながら比較できます。
一方、アニメ版の魅力は動きの変化そのものを演技として見せられることです。
うつむいていた人物が顔を上げる。
猫背だった身体がまっすぐ伸びる。
目線が落ち着かず揺れていた人物が、相手を正面から見据える。
こういった変化は、静止画でも表現できますが、動画では「変わる瞬間」を見せられます。
これは慧月の身体に玲琳が入る設定との相性が非常にいいんですよね。
さらにTVアニメでは色彩と背景が加わります。
色彩設計を石黒けいさん、美術監督を矢口聖奈さんが担当しており、雛宮という華やかな舞台をカラーで見せられるのは映像版ならではです。
公式ギャラリーにはメインビジュアルだけでなく、季節ビジュアル、「こどもの日」ビジュアル、「ねずみの日」ビジュアル、誕生日ビジュアル、「いい推しの日」のアイドルビジュアルまで並んでいます。
原作・漫画・アニメそれぞれのクリエイターによる描き下ろしも多く、ゆき哉さんや尾羊英さんによるアニメ放送開始のお祝いイラストなども公開されています。
つまり本作は、アニメの本編カットだけでビジュアル展開を終わらせるのではなく、キャラクターをさまざまな角度から「絵で楽しませる」企画が継続している作品でもあるわけです。
2025年9月時点でシリーズ累計部数は電子版を含め400万部を突破しており、コミカライズは「次にくるマンガ大賞2022」コミックス部門で7位を獲得しています。
もちろん売上や賞だけで絵の良し悪しが決まるわけではありません。
それでも、小説から漫画、そしてアニメへとメディア展開が続き、さらに多数のビジュアル企画が組まれていることは、キャラクター表現が作品の大きな魅力として機能している一つの材料といえるでしょう。

『ふつつかな悪女ではございますが』の作画を見るなら何に注目すべき?
僕が『ふつつかな悪女』の作画を見るうえで最もおすすめしたいポイントは、「美人に描かれているか」ではなく「その瞬間、誰がその身体を動かしているように見えるか」です。
これは本作の物語そのものと直結しています。
黄玲琳は、美貌だけが魅力の人物ではありません。
病弱な身体で生きてきたからこそ精神的に非常に強く、危機的な状況でも前向きに突き進みます。
慧月は逆に、才能がない人物なのではなく、適切な教育や愛情を受ける機会がなく、自分自身を低く評価するようになった少女です。
その二人が身体を交換することで、「外見とは何か」「人の印象は何によって決まるのか」という問いまで浮かび上がってきます。
ここに作画が深く関わります。
慧月の身体を玲琳が使った途端、その身体が美しく見える。
しかし骨格そのものが突然変わったわけではありません。
変わったのは、立ち方、表情、化粧、振る舞い、そして本人が世界を見る姿勢です。
個人的には、この構造が非常に面白いと感じました。
よくある入れ替わり作品では、「見た目と中身が違う」というギャグや混乱が中心になります。
本作の場合、それだけではありません。
他人の身体に入ったことで、自分では気づけなかった価値を別の人物が発見するというドラマにまでつながっています。
玲琳にとって慧月の身体は、慧月自身が嫌っていた身体です。
ところが病弱な玲琳にとっては、自由に走れて、動けて、健康でいられること自体が奇跡に近い。
同じ身体なのに、一人には劣等感の象徴で、もう一人には憧れの対象になるんですね。
だからこそ、慧月の身体に入った玲琳が生き生きと描かれるほど、慧月がそれまで自分自身をどれほど過小評価していたのかが伝わってきます。
これはセリフだけで説明するより、絵で見たほうが強烈です。
そして玲琳を知った慧月が、少しずつ自分自身を磨いていくようになる流れにも説得力が生まれます。
作画は単なる「画面の豪華さ」ではなく、キャラクターが自分自身を見る目の変化まで支えているわけです。
アニメでも同様に、今後見る際には顔の整い方だけではなく、玲琳と慧月の姿勢や視線に注目してみてください。
「今は玲琳だから堂々としている」「ここでは慧月らしい迷いが表情に出ている」と分かるようになると、本作は一気に面白くなります。
作画崩壊という評価は妥当なのか
2026年9月14日時点の資料を確認する限り、『ふつつかな悪女ではございますが』について作品全体を「作画崩壊アニメ」と断定できる根拠は確認できません。
もちろんTVアニメなので、すべてのカットが同じ密度で描かれるわけではありません。
話数やシーンによって作画の印象に差を感じる視聴者が出ること自体は不自然ではないでしょう。
ただし、一部の中割りや特定の一瞬だけを切り抜いてシリーズ全体の品質だと判断するのも適切ではありません。
2026年7月22日時点の第2話までを対象にした検証でも、継続的な作画崩壊が確認されたわけではありませんでした。
その後も第10話まで制作スタッフが確認でき、各話ごとに総作画監督・作画監督が配置されています。
むしろ本作は、華やかな衣装や美術だけを見るより、人物芝居を含めて評価するほうが作品の特徴をつかみやすいです。
アニメを見るときは、静止画だけでなく前後の動きを含めてチェックしてみることをおすすめします。
まとめ:『ふつつかな悪女ではございますが』の作画は人物の「中身」まで見ると面白い
『ふつつかな悪女ではございますが』は、原作イラストをゆき哉さん、漫画版の作画を尾羊英さん、アニメのキャラクターデザインを菊池愛さん、アニメーション制作を動画工房が担当しています。
漫画版は2021年から連載され、2026年3月31日時点で単行本10巻まで刊行。TVアニメは当初2026年4月放送予定でしたが制作進行の遅延により延期され、2026年7月12日からテレビ東京系列ほかで放送が始まりました。
アニメ公式サイトではメインビジュアル、原画ビジュアル、季節ビジュアル、エピソードビジュアルに加え、黄玲琳・朱慧月それぞれの入れ替わり後のキャラクタービジュアルまで公開されています。
そして作画を見るうえで一番重要なのは、顔がきれいかどうかだけではありません。
黄玲琳と朱慧月が入れ替わった後、同じ身体なのに別人として感じられるか。
ここに注目すると、『ふつつかな悪女』の絵作りが物語と非常に密接につながっていることが分かります。
僕自身、慧月の身体を玲琳が使ったことで「同じ人物なのに見え方が変わる」という表現は、本作を漫画・アニメで楽しむ大きな理由の一つだと感じています。
豪華な後宮美術や衣装を眺めるだけでも楽しいですが、次に見るときはぜひ目線、姿勢、表情にも注目してみてください。
そこまで見ると、タイトルにある「蝶」と「鼠」のイメージだけでは語れない、二人の少女の変化がもっと鮮明に見えてくるはずです。
よくある質問
『ふつつかな悪女ではございますが』の漫画の作画担当は誰?
漫画版の作画担当は尾羊英さんです。
原作は中村颯希さん、キャラクター原案はゆき哉さん。『月刊コミックZERO-SUM』で2021年2月号から連載され、ZERO-SUM COMICSから単行本が刊行されています。
アニメ『ふつつかな悪女ではございますが』の制作会社はどこ?
アニメーション制作は動画工房です。
監督・音響監督は山﨑みつえさん、シリーズ構成は中村能子さん、キャラクターデザインは菊池愛さん、色彩設計は石黒けいさん、美術監督は矢口聖奈さんが担当しています。
『ふつつかな悪女ではございますが』は作画崩壊している?
少なくとも確認できる資料から、作品全体について「作画崩壊が続いている」と断定することはできません。
本作ではキャラクターの顔だけでなく、玲琳と慧月の入れ替わりを表現する姿勢・表情・芝居や、華やかな後宮美術も含めてビジュアルを評価すると魅力をつかみやすいでしょう。


