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『ふつつかな悪女ではございますが』五家と雛女を解説|藍家・金家・玄家の人物関係

黄玲琳・朱慧月・金清佳・藍芳春・玄歌吹の五人の雛女が中華後宮の雛宮を背景に並ぶ場面 未分類

『ふつつかな悪女ではございますが』の五家は黄・朱・金・藍・玄の五名家で、雛宮には各家を代表する雛女たちが集います。

雛女は黄玲琳・朱慧月・金清佳・藍芳春・玄歌吹。とくに原作中盤では、藍家・金家・玄家の事情まで物語の中心へ入り込み、玲琳と慧月だけを追っていた序盤とは違う「五家の群像劇」が見えてきます。

『ふつつかな悪女ではございますが』の五家と雛女とは?

五家とは、詠国の雛宮へ姫君を送り出す黄家・朱家・金家・藍家・玄家の五つの名家です。作中では黄玲琳、朱慧月、金清佳、藍芳春、玄歌吹が雛女として集い、次期妃候補として競うことになります。

雛宮は次期妃を育成するため、五つの名家から姫君を集めた場所です。

物語の冒頭では黄家の玲琳と朱家の慧月による「身体の入れ替わり」が圧倒的に目立つため、最初は黄家と朱家だけが重要に見えるかもしれません。

しかし、原作を読み進めると印象が変わります。

金・藍・玄の三家も、それぞれの雛女と後宮側の人物、家ごとの価値観を背負って物語へ深く関わってくるからです。

五家を先に一覧で整理しておきましょう。

家 雛女 主な人物像 家の気質として描かれる要素
黄家 黄玲琳 虚弱ながら逆境に屈しない鋼の精神を持つ 大地のように揺るがない「不動」
朱家 朱慧月 劣等感が強く、玲琳への嫉妬から禁術を使う 感情が激しく「苛烈」
金家 金清佳 美や芸術を愛し、誇り高く潔い 誇り、美学、物事の裏を読む思考
藍家 藍芳春 控えめで可憐。詩歌と書を得意とする 理知、学問、言葉への強さ
玄家 玄歌吹 寡黙で落ち着き、囲碁将棋と武技に秀でる 水のような冷静さと激しさ

ここで一つ、かなり重要な注意点があります。

「TVアニメ公式サイトで明示された人物設定」「原作者・中村颯希先生のWeb番外編で描かれた家の性質」「そこから読み取れる考察」は分けて考えるべきです。

たとえばアニメ公式の人物紹介では、玲琳は「黄家の雛女」、慧月は「朱家の雛女」、清佳は「金家の雛女」、芳春は「藍家の雛女」、歌吹は「玄家の雛女」と紹介されています。

一方、原作者によるWeb番外編「五家の性質―莉莉は見た―」では、五家に連なる者たちには祖先が奉じてきたものの性質が表れやすいという世界観が描かれています。

そこで五家は、「不動の黄家、冷酷な玄家、理知的な藍家、誇り高い金家、苛烈な朱家」という方向性で整理されています。

黄家は大地、玄家は水、藍家は木、朱家は火との結びつきが作中で具体的に示されており、五行を意識させる世界観として読むこともできます。

ただし、「黄=土、朱=火、藍=木、玄=水、金=金」という対応だけですべての人間関係を自動的に説明できる、と考えるのは少し危険です。

本作では家の性質が運命を決めるのではありません。

似た気質を持つ人物たちが、その性格を誰のため、何のために使うか。

そこにこそ、五家という設定の面白さがあります。

五家には後宮側にも重要人物がいる

雛女だけを覚えても、五家の関係はまだ半分です。

後宮には各家と深く関わる妃たちが存在し、雛女の立場と家の力関係をさらに複雑にしています。

黄玲琳の伯母・黄絹秀は詠国の皇后で、玲琳を黄家の雛女に選んだ人物です。

朱家には皇后に次ぐ地位である貴妃・朱雅媚がおり、慧月を雛女に選んでいます。

さらに金家では淑妃・金麗雅が清佳の伯母であり後見人、藍家では徳妃・藍芳林が芳春の後見人、玄家では賢妃・玄傲雪が歌吹の後見人として登場します。

つまり雛宮で起こることは、五人の少女だけの問題ではありません。

雛女の評価や行動は、背後にある家、妃、後宮内の立場ともつながっている。

「誰が皇太子妃になるのか」だけではなく、家同士の歴史や感情まで一緒に動く。

ここまで分かると、『ふつつかな悪女ではございますが』が単純な恋愛後宮ものではなく、かなり濃い群像劇として設計されていることが見えてきます。


藍家・藍芳春とは?なぜ策士のように見える?

藍芳春は、表向きは控えめで可憐な藍家の雛女ですが、原作小説第4巻では慧月を貶めようとする側として動き、頭脳と情報を使う人物像が前面に出ます。

TVアニメ公式の人物紹介だけを見ると、芳春は五人の中でも特におとなしい印象です。

小柄で愛らしく、他家の雛女と比べても控えめ。

得意なのは詩歌と書です。

ところが原作では、この「言葉に強い」「自分から感情を激しく表へ出さない」という特徴が、別の顔につながっていきます。

原作小説第3巻からは玲琳たちが慧月の領地である南領へ向かい、第4巻では雛女たちによる茶会が開催されます。

そこで物語の焦点の一つになるのが、慧月を貶めようとする藍芳春です。

一迅社による第4巻の紹介でも、茶会に臨む慧月が芳春の企みをかわし、反撃へ出る流れが示されています。

そのため芳春を説明するなら、「なんとなく腹黒そう」「後で裏切るキャラ」とぼかすより、原作小説第4巻で慧月への攻撃が明確になる人物としたほうが分かりやすいでしょう。

藍芳春は玲琳と慧月を入れ替えた黒幕?

いいえ。最初の入れ替わり事件の黒幕は藍芳春ではありません。

玲琳と慧月の身体が入れ替わった直接の原因は、慧月が玲琳への嫉妬から得意の禁術を使ったことです。

芳春が重要人物として浮上するのは、その後になります。

そして芳春の怖さは、慧月のように感情を正面からぶつけるタイプではないところにあります。

慧月が火のように「自分自身が燃えて突っ込んでいく」人物だとするなら、芳春は周囲の認識や言葉を利用して、盤面そのものを動かそうとするタイプに見えます。

僕はここが、芳春というキャラクターの面白さだと感じています。

本人を直接殴るのではなく、本人が立っている足場を崩す。

そんな戦い方が似合ってしまうんですよね。

だからこそ、派手に怒鳴ったり暴れたりする人物以上に、「この子は何を考えているんだろう」と読者を警戒させます。

藍家は「腹黒い一族」という設定ではない

ここは検索すると誤解しやすいポイントです。

原作者のWeb番外編で藍家に示されている本質は、腹黒さではなく理知性と学への強さです。

芳春は詩歌に秀で、語学にも通じる人物として描かれています。

番外編では、皇后・絹秀が口にした駄洒落を聞いても、すぐに笑うのではなく、「どういう仕組みで面白くなっているのか」を理屈から理解しようとします。

「言葉とは何か」を真剣に考えてしまうほど、言葉を構造として見る。

この反応は、木と学に結びつく藍家の特徴をかなり分かりやすく表した場面です。

つまり順番としては、藍家だから策略家なのではなく、芳春が藍家らしい理知性を策略にも使える人物だったと考えるほうが自然です。

家の性質と本人の選択を切り分けて見る。

これだけで芳春は「腹黒キャラ」という一言では終わらない、ずっと面白い人物になります。

※画像はAIによるイメージ

金家・金清佳とは?玲琳との関係と鑽仰礼での立場は?

金清佳は美や芸術を深く愛し、誇りと自分なりの美学を大切にする金家の雛女です。玲琳へは敬慕と競争心の入り交じった感情を持ち、原作5~6巻の鑽仰礼では五家を巡る異変の当事者となります。

TVアニメ公式では、清佳について「美や芸術を深く愛し、尊ぶ」「価値観が明確」「誇り高く潔い」といった人物像が紹介されています。

これだけなら「プライドの高いお嬢さま」に見えるでしょう。

でも清佳は、ただ高慢なわけではありません。

自分が美しい、正しい、価値があると思ったものへ妥協しない。

この「自分の尺度を持っていること」が清佳の芯です。

原作者Web番外編では、清佳が玲琳を強く意識していることも描かれています。

しかも慧月が序盤に玲琳へ向けていた敵意とは少し違います。

清佳が玲琳へ抱くのは、単なる嫌悪ではなく敬慕と競争心が絡み合った感情です。

認めている。

だから負けたくない。

相手に価値がないと思っているのではなく、むしろ価値を高く見積もっているからこそ、動向が気になって仕方がない。

僕にはこの関係が、後宮ものというよりスポーツ作品のライバルに少し近く見えます。

「あなたなんて認めない」ではない。

「認めているから、あなたの隣に立てる自分でいたい」方向へ転び得るライバル関係なんです。

金家は美意識だけでなく「裏を読む」

原作者Web番外編では、金家の人間は誇り高く何事にも美学を求める一方、計算高く、頭の回転が速い傾向も描かれます。

発言の意図や物事の裏事情を読み取ろうとするのです。

これが番外編では盛大に空回りします。

絹秀の駄洒落を聞いた清佳が、「この言葉にはもっと深い意味があるのでは」と考え込み、必要以上に裏を読み始めてしまうからです。

シリアスな能力をコメディへ落とし込んだ、かなり本作らしい場面ですよね。

ただし、ここから「金家は商才に優れた一族」などと設定を広げすぎるのは避けたほうがいいでしょう。

確認できる範囲で整理するなら、誇り、美学、計算高さ、物事の裏を読む頭脳まで。

清佳本人を理解するには、これだけでも十分です。

原作小説5~6巻の鑽仰礼で清佳はどうなる?

金清佳を理解するうえで外せないのが、原作小説第5巻から始まる「鑽仰礼」です。

鑽仰礼は五家の雛女が序列を争う重要な審査で、雛女たちに複数の課題が課されます。

つまり本来なら、五人が最も激しく競い合うイベントです。

ところが第6巻に入ると、単純な順位争いでは説明できない異変が次々と表へ出てきます。

玲琳への妨害。

不穏な妃たち。

そして公式の第6巻紹介でも触れられる、「様子のおかしい金清佳と藍芳春」

さらに玄歌吹の強い殺意と凶行まで重なります。

ここで五家の物語は、「誰が一位になるか」から大きく方向を変えていくのです。

最終的には五家の雛女が力を合わせ、共通する問題へ立ち向かう展開へ進みます。

清佳の誇りも、そこで意味を変えて見えてきます。

筆者として魅力を感じるのは、清佳が誇りを捨てて仲間になるわけではないことです。

誇り高いまま。

自分の美学を持ったまま。

その力を「誰と争うために使うのか」が変わっていく。

性格を消すのではなく、性格の使い道が変化するところに、本作らしい成長があります。


玄家・玄歌吹とは?「怖い」と感じる理由は?

玄歌吹は五人の雛女の中で最年長の、寡黙で落ち着いた人物です。囲碁将棋と武技を得意としますが、原作小説第6巻では強い殺意と「凶行」が大きな謎として提示されます。

TVアニメ公式で紹介される歌吹は、寡黙で凛とした女性です。

五人の中では最年長。

囲碁将棋のような頭脳戦だけでなく、武技も得意としています。

芳春のように言葉で盤面を動かすわけでもなく、清佳のように好悪を分かりやすく示すわけでもありません。

そのため序盤だけなら、五人の中で最も「何を考えているのか分かりにくい」人物でしょう。

ところが玄家の性質を知ると、この沈黙が別の意味を持って見えてきます。

玄家は水のように「静」と「激」の両方を持つ

原作者Web番外編では、玄家は水を奉じてきた一族とされています。

水は静かなときには凪いでいます。

しかし一度荒れれば、強烈な波になる。

玄家も同じように、冷静さと激しい感情を両方抱え得る家として描かれています。

番外編内では、普段は冷淡でも、一度強く執着する相手を持つと激しい感情を向けるという評判にも触れられます。

ただし恋愛面に関する話は、あくまで作中の女官たちの噂として語られているものです。

「玄家の人間は全員こうなる」という絶対的な公式ルールのように扱うのは適切ではありません。

ここはかなり大切です。

玄家=危険人物の家ではありません。

平静さの内側に大きな感情を抱える可能性がある。

その二面性こそがポイントです。

分かりやすいのが、黄家付き筆頭女官・黄冬雪でしょう。

冬雪は玄家の血も引いており、冷静沈着な一方で熱い衝動を隠し持ち、玲琳へ絶対の忠誠を誓っています。

普段の表情だけでは感情の大きさが分からない。

けれど、玲琳に関することになると内側の熱量が一気に見える。

玄家という設定を知ると、冬雪の人物造形まで違って見えてきます。

玄歌吹の大きな転機は原作6巻

歌吹について検索している方が最も気になるのは、「結局、何をする人物なのか」ではないでしょうか。

そこで外せないのが原作小説第6巻です。

一迅社による第6巻の紹介では、鑽仰礼で起きる異変の一つとして、玄歌吹の「強い殺意」と「凶行」が明確に挙げられています。

それまで寡黙で落ち着いていた人物に突然この言葉が付く。

かなり強烈ですよね。

ただし、これを見て「やっぱり玄家だから危険だった」と結論づけるのは早すぎます。

第6巻で重要なのは、玲琳が起きている出来事を表面だけで裁かず、なぜ清佳や芳春や歌吹がそのような状態になっているのかを知ろうとすることです。

事情を知った玲琳は慧月とともに動き出し、最終的には五家の雛女たちが協力する流れへ進みます。

歌吹は「倒すべき敵役」として処理されるのではありません。

ここが本作らしいところです。

歌吹の静けさは、感情が存在しないことを意味していなかった。

むしろ表へ出しにくいからこそ、積み重なったものが行動へ変わったときの振れ幅が大きい。

玄家の水の性質と歌吹の物語が重なって見える部分ではありますが、「水の一族だから凶行に走った」という単純な因果関係ではありません。

家柄は人物を見るための補助線。

実際にその人を動かすのは、置かれてきた状況や過去、感情です。

※画像はAIによるイメージ

五家の雛女は敵?味方?鑽仰礼から関係性を考察

原作小説第6巻までを見る限り、五家の雛女は単純な敵味方ではありません。競争相手でありながら、それぞれの事情を知ったあとには共通の問題へ力を合わせる関係へ変化します。

ここを「最後はみんな仲良しになる」と表現してしまうと、本作の面白さがかなり薄れてしまいます。

五人は性格も価値観も違います。

競争もします。

相手を快く思わない瞬間だってあります。

その違いを消したうえで協力するのではないんです。

違ったまま、一緒に動く。

これが重要です。

原作第5巻では、五家の雛女が序列を争う鑽仰礼が始まります。

競争が激しくなって当然の舞台です。

ところが第6巻では玲琳への妨害、清佳や芳春の異変、歌吹の凶行など、順位争いという言葉だけでは説明できない問題が次々と見えてきます。

そして事情を知った玲琳と慧月が動き、五家の雛女たちも力を合わせる。

僕はこの構図こそ、五家編の最大の魅力だと考えています。

黄玲琳は、病弱な身体で生き続けた経験から、普通なら絶望する状況さえ前向きに捉えるほど折れません。

朱慧月は感情が激しい。

けれど、その激しさは自分の嫉妬だけでなく、大切な人のために怒ったときには凄まじい推進力になります。

藍芳春は言葉と情報を読む。

金清佳は美学と誇りを譲らない。

玄歌吹は静かな観察力と武を持っています。

誰一人、玲琳のような性格になる必要はありません。

むしろ違うからこそ、五人が揃ったときにできることが増える

これが五家という設定の強みです。

五家の性質は「性格診断」ではない

原作者Web番外編「五家の性質―莉莉は見た―」は、家ごとの差をかなりユーモラスに見せています。

題材になるのは、なんと駄洒落です。

同じ言葉を聞いても、五家に連なる人物の反応が違う。

黄家側は大きく動じず楽しむ。

玄家筋の人物は反応するまでに間がありながら、笑いが長く続く。

金清佳は「もっと深い意味があるのでは」と考え始めます。

藍芳春は、そもそもなぜそれが笑いになるのかを言葉の構造から理解しようとする。

非常に小さな出来事なのに、それぞれの思考回路の違いが見えるんです。

だから僕は五家の性質を、「黄家タイプ診断」「玄家タイプ診断」のような分類として見るより、同じ出来事を五つの異なる視点から描くための装置だと考えています。

黄家だから善人。

朱家だから短気。

藍家だから腹黒い。

金家だから高慢。

玄家だから怖い。

そんな単純な分類ではありません。

そもそも玲琳と慧月の入れ替わりからして、「外から見える姿と、その人自身が抱えている事情は違う」という物語でした。

誰からも愛されて完璧に見えた玲琳は、幼い頃から病弱で死と隣り合わせでした。

誰からも嫌われる悪女だった慧月は、強烈な劣等感と愛情への飢えを抱えていました。

表面だけでは人を理解できない。

そのテーマが、清佳・芳春・歌吹にも広がっていくのです。

玲琳と慧月の二人で始まった「相手の立場から世界を見る」というテーマが、やがて五家全体へ拡張されていく。

ここに注目すると、原作中盤の五家編が単なる「新しいライバル登場編」ではないことが分かります。

「水剋火」は公式?玄家と朱家は相性が悪い?

玄家と朱家の関係については、原作者のWeb番外編内で実際に「水剋火」という考え方が登場します。

水を司る玄家。

火を司る朱家。

番外編では朱家につながる莉莉が、玄家の血を引く冬雪や辰宇を前に身構える場面があり、五行の相克を利用したコミカルな描写になっています。

そのため、玄家と朱家を火と水の対照として読むこと自体には作中の根拠があります。

ただし、そこから「玄家と朱家の人間は絶対に仲良くなれない」とまで広げるのは別です。

五行はあくまでモチーフの一つ。

人物の未来を機械的に決めるルールではありません。

むしろ本作では、家の性質を知ったうえで、その予想から人物がはみ出していく瞬間が面白い。

火と水だから衝突することがある。

それでも理解することも、助けることもできる。

設定が人間関係を縛るのではなく、設定を越えて関係を築けるからドラマになるわけです。

筆者の考察|五家編の本質は「欠点を消さずに共闘できるか」

個人的に『ふつつかな悪女ではございますが』を好きな理由の一つが、成長したキャラクターを「みんな同じいい子」にしないところです。

慧月は玲琳にはなりません。

芳春も頭の回る性格を捨てません。

清佳も誇りをなくしません。

歌吹も突然、誰にでも感情を説明する陽気な人物にはなりません。

変わるのは性格ではなく、その性格を向ける先です。

嫉妬や怒りに使っていた激しさを、誰かを守る力へ変える。

人を追い込むためにも使える知略を、危機を突破するために使う。

相手との間に壁を作りかねない誇りを、自分が守るべきものを貫く強さにする。

胸の内へ抱え込んでいた感情を、同じ目的へ向かう力にする。

僕はこの成長のさせ方が、本作の大きな魅力だと思います。

玲琳と慧月は、最初は文字どおり身体を入れ替えなければ、相手の苦しさを理解できませんでした。

玲琳は慧月の身体と立場になり、悪女として冷遇される世界を見る。

慧月は玲琳の身体になり、周囲から愛される代わりに、常に命の危険と隣り合わせだった現実を知る。

ところが物語が進むにつれ、二人は身体を入れ替えなくても、相手の事情を想像して行動するようになります。

その視線が清佳へ向かう。

芳春へ向かう。

歌吹へ向かう。

つまり五家編は、入れ替わりというギミックで始まったテーマを一段階広げた物語とも読めます。

「あなたになってみなければ分からない」から、「あなたになれなくても事情を知ろうとする」へ。

この変化があるからこそ、『ふつつかな悪女ではございますが』は単なる入れ替わりコメディを越えていくのだと、僕は考えています。


まとめ|五家を知ると『ふつつかな悪女ではございますが』の群像劇が見えてくる

『ふつつかな悪女ではございますが』の五家は、黄家・朱家・金家・藍家・玄家です。

雛女として登場するのは、黄玲琳、朱慧月、金清佳、藍芳春、玄歌吹。

序盤では玲琳と慧月の入れ替わりが物語の中心ですが、原作を読み進めるほど金・藍・玄の三家も大きな意味を持ってきます。

藍芳春は、控えめで詩歌と書を得意とする一方、原作小説第4巻では慧月を貶めようとする策士としての顔が前面化します。

金清佳は、美と芸術を愛し、誇りと美学を重視する人物。玲琳へは敬慕と競争心が入り交じった感情を抱き、原作5~6巻の鑽仰礼では五家を巡る異変へ巻き込まれます。

玄歌吹は、寡黙で囲碁将棋と武技に秀でた最年長の雛女。第6巻では強い殺意と凶行が大きな謎として浮上します。

そして鑽仰礼を経ると、五家の雛女は単なる「皇太子妃の座を争うライバル」だけでは説明できなくなります。

競争する。

衝突する。

疑う。

それでも、事情を知れば同じ目的のために動くこともできる。

五家とは五人を色分けして固定するための設定ではなく、「違う五人が、違ったまま同じ方向へ進めるのか」を描くための仕掛け。

僕はそう考えています。

玲琳と慧月の入れ替わりから作品に入った方ほど、ぜひ清佳・芳春・歌吹にも注目してみてください。

それまで「主人公二人とその他の妃候補」に見えていた雛宮が、五人それぞれに過去と価値観を持った群像劇の舞台へ変わって見えてくるはずです。


よくある質問

『ふつつかな悪女ではございますが』の五家と雛女は誰?

黄家の黄玲琳、朱家の朱慧月、金家の金清佳、藍家の藍芳春、玄家の玄歌吹です。五人は雛宮に集う雛女で、それぞれ異なる性格と家の背景を持っています。

藍芳春は玲琳と慧月の入れ替わり事件の黒幕ですか?

いいえ。最初の入れ替わりは、玲琳への嫉妬を募らせた朱慧月が禁術を使ったことで起こります。藍芳春はその後、原作小説第4巻で慧月を貶めようとする人物として存在感を強めます。

金清佳と玄歌吹は玲琳たちの敵ですか?

単純な敵ではありません。原作小説第6巻では清佳・芳春・歌吹を含む五家それぞれの問題が表面化しますが、事情を知った玲琳と慧月が動き、最終的には五家の雛女たちが共通の問題へ力を合わせます。

執筆:涼風 結人(アニメ情報ナビゲーター)

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