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『ふつつかな悪女ではございますが』2部・第二幕・第三章ネタバレ|鑽仰礼までの展開

南領の豊穣祭に立つ黄玲琳と朱慧月、その奥に鑽仰礼へ臨む五家の雛女たちが並ぶ場面 未分類

第二幕では玲琳と慧月が南領の豊穣祭で再び入れ替わり、第三幕では五家の雛女が鑽仰礼を巡る陰謀へ立ち向かいます。

原作小説3〜4巻が第二幕「はじめての外遊編」、5〜6巻が第三幕「陰謀だらけの鑽仰礼」。入れ替わりから始まった二人の関係が、本当の友情、そして五家の雛女による共闘へ広がっていく重要な区間です。

※この記事は『ふつつかな悪女ではございますが ~雛宮蝶鼠とりかえ伝~』原作小説3〜6巻を中心に、第二幕・第三幕の重大なネタバレを含みます。

『ふつつかな悪女ではございますが』第二幕は原作・漫画の何巻?

第二幕「はじめての外遊編」は原作小説3〜4巻、コミカライズ5〜8巻です。続く第三幕「陰謀だらけの鑽仰礼」は原作小説5〜6巻で完結し、コミカライズでは9巻から始まっています。

検索すると小説版と漫画版で巻数が混ざりやすいので、最初に整理しておきましょう。

区分 原作小説 コミカライズ 主な内容
第二幕 3〜4巻 5〜8巻 南領への外遊、豊穣祭、再入れ替わり、邑の疫病
第三幕 5〜6巻 9巻〜 鑽仰礼、五家の雛女の対立、歌吹の復讐、共闘

コミカライズ8巻では第二幕の決着が明記され、9巻から鑽仰礼を舞台とする第三幕が始動。2026年9月19日時点でコミカライズは10巻まで発売されており、10巻では喧嘩別れした玲琳と慧月、そして「終の儀」へ向かう雛女たちが描かれています。

なお、コミカライズ11巻は2026年9月30日発売予定です。原作小説も同日に13巻が発売予定ですが、こちらは第二幕・第三幕よりさらに先の物語となります。

第二幕の始まりは、最初の入れ替わり事件が解決したあと。

玲琳を陥れるため慧月が道術を使い、二人の身体を入れ替えた第一幕とは、すでに二人の関係が大きく変わっています。

乞巧節を巡る事件のあと、朱貴妃・朱雅媚は後宮を去り、慧月は朱駒宮を自分で切り盛りする立場になります。コミカライズ5巻の公式紹介でも、玲琳がそんな慧月を支えながら指導する日々が第二幕の出発点として描かれています。

つまり、この時点の慧月はもう「玲琳の人生を奪おうとする悪女」ではありません。

自分が起こした事件と、その結果失った信用を抱えながら、それでも朱家の雛女として立ち直ろうとしている少女です。

玲琳も慧月を一方的に「許して終わり」にはしません。

作法を教え、必要な知識を伝え、時には本人以上に熱心に背中を押していく。

僕が第二幕を面白いと感じる最大の理由は、ここです。

第一幕は「身体を入れ替えなければ相手の苦しみが分からなかった二人」の物語でした。

第二幕では身体が元に戻ったあとに、「相手にならなくても、相手を理解しようとできるのか」が問われ始めます。

入れ替わりという設定が、単なるコメディの仕掛けから人間関係そのもののテーマへ変わっていくんです。


第二幕の豊穣祭では何が起きる?玲琳と慧月が再び入れ替わる

第二幕の舞台は、朱家が治める南領で行われる豊穣祭です。

一迅社による原作3巻の紹介では、雛女になって初めての外遊先として南領が選ばれ、後見の妃を失った慧月が準備に奔走するところから事件が始まります。

慧月にとって、この豊穣祭はただのお祭りではありません。

最初の入れ替わり事件で失った信用を取り戻し、「朱家の雛女としてやっていける」と示す大切な機会です。

ところが準備は思うように進みません。

豊穣祭を巡る妨害が続き、もともと「雛宮の嫌われ者」とされてきた慧月には、何か問題が起きるたびに疑いの視線が向けられます。

変わろうと努力しても、周囲が覚えているのは「以前の慧月」。

この苦しさは第二幕の重要なテーマです。

人は変われる。

でも、本人が変わった瞬間に周囲の評価までリセットされるわけではない。

慧月は、自分自身だけでなく「悪女・朱慧月」という過去の評判とも戦わなければならなくなります。

そして追い詰められた慧月は、道術の力を制御できなくなります。

その結果、玲琳と慧月は再び身体を入れ替えることになります。原作3巻の公式紹介でも、儀式を妨害された慧月が焦りから力を暴走させ、二人が再び入れ替わることが明かされています。

ただし、一度目と二度目では意味がまるで違います。

一度目は、慧月が玲琳から人生を奪うために意図して行った入れ替わり。

二度目は、慧月が必死に役目を果たそうとして追い詰められた結果、意図せず起きてしまった入れ替わりです。

同じ術を使いながら、そこへ込められた感情が真逆になっている。

ここは本作の構成でかなり巧いところだと僕は感じます。

「また入れ替わった!」という展開なのに、第一幕の焼き直しには見えません。

むしろ一度目を知っているからこそ、慧月がどれほど変わったのかが分かる仕掛けになっています。

さらに混乱の中、慧月をさらおうとする邑の民が現れます。

しかし、そのとき慧月の身体に入っているのは玲琳。

玲琳は兄・景行とともに邑へ入り、そこで祭りを妨害する事件とは別の、もっと深刻な問題へ踏み込んでいくことになります。

※画像はAIによるイメージ

第二幕の事件を理解するうえで重要なのは、雲嵐を単純な黒幕だと思わないことです。

雲嵐は温蘇の邑を率いる若き頭領で、玲琳の誘拐に関わる側へ立ちます。

けれど、邑そのものが厳しい状況へ追い込まれており、やがて疫病まで発生。

雲嵐もまた、より大きな思惑に翻弄される側だったことが見えてきます。

原作4巻では、邑を襲った疫病が一段落したあと、雲嵐が凶刃に倒れます。

死の淵をさまよう彼を目の前にした玲琳は、それまでほとんど見せなかったほど激しく動揺し、消沈してしまいます。

ここ、本当に重要なんですよね。

玲琳は自分自身が死にそうな目に遭っても、驚くほど前向きです。

病弱な身体で生きてきたため、「自分がいつ死ぬか」という恐怖への耐性が異様なほど高い。

でも、他人が死にそうになることには耐えられません。

つまり玲琳は何でも平気な無敵キャラではない。

むしろ他人の命を大切にするあまり、自分の命だけを同じ重さで扱えていないという危うさを抱えています。

第二幕では慧月の成長だけでなく、これまで「鋼の精神」として笑いに変換されてきた玲琳の価値観にも、初めて明確な弱点が見えてくるんです。


豊穣祭の黒幕と結末は?藍家の思惑と慧月の反撃

豊穣祭編では、慧月への嫌がらせ、祭りの妨害、邑の困窮、疫病といった出来事が別々に起きているように見えます。

しかし物語が進むと、郷長側の不正と、それを利用して事態を動かす藍家側の思惑が事件の奥にあることが見えてきます。

コミカライズ7巻の公式紹介でも、痢病が発生した邑で雲嵐が薬を得るため郷との交渉へ向かったところ、口封じを目的として郷長の手の者に襲われる展開が明かされています。

しかも後宮側では、玲琳の身体に入っている慧月が別の戦いをしています。

慧月は、自分にかけられた悪評を晴らすため雛女たちとの茶会を開催。

そこで対峙する大きな相手が、藍家の雛女・藍芳春です。

一迅社による原作4巻の紹介でも、慧月が茶会で芳春による策をくぐり抜け、反撃へ出ることが明記されています。

ここが慧月の成長を最も分かりやすく見せる場面の一つです。

第一幕の慧月は、周囲からどう見られているかに過敏で、感情を爆発させることでさらに自分の立場を悪くしていました。

第二幕では違います。

芳春が情報と評判を武器に攻めてくるなら、慧月も状況を読み、自分の頭で考えて切り返す。

しかも玲琳はそこにいません。

「玲琳に救ってもらう」のではなく、玲琳から学んだことを使いながら慧月自身が戦う。

僕はここでようやく、慧月が玲琳の影から一歩外へ出たように感じました。

一方の南領では、事件に巻き込まれた邑を切り捨てるのではなく、玲琳たちは邑で豊穣祭を行う方向へ動きます。

コミカライズ8巻では、回復へ向かう雲嵐、元気を取り戻した玲琳、そして邑で敢行される豊穣祭をもって第二幕が決着すると案内されています。

これはかなり痛快な決着です。

祭りを失敗させ、慧月の評価を落とし、人々を切り捨てようとした流れに対して、玲琳たちは「それなら、その人たちと一緒に祭りを成功させる」という方向からひっくり返す。

本作の玲琳は、相手より残酷になることで勝つ主人公ではありません。

相手が作った盤面そのものを、「もっと多くの人が幸せになる形」に作り替えてしまう。

ここが『ふつつかな悪女ではございますが』の逆転劇らしいところです。

そして第二幕で重要なのは、事件解決そのもの以上に、その過程で玲琳と慧月の役割が入れ替わっていく点です。

玲琳が弱ったとき、慧月が支える。

玲琳がいないところで、慧月が自分の悪評と戦う。

第一幕では玲琳が慧月を救う場面が目立ちました。

第二幕では初めて、慧月も玲琳を救う側になっていくんです。


第二幕で玲琳と慧月の友情はどう変わる?

第二幕の結末で玲琳と慧月は、単なる「元加害者と被害者」では説明できない関係へ変わります。

ただし、ここで二人を「完全に分かり合った親友」とまとめてしまうと、その後の第三幕が見えなくなります。

慧月は玲琳を知ることで、大きく変わりました。

最初の慧月にとって玲琳は、美貌、家柄、教養、周囲からの愛情まで、自分が欲しいものをすべて持つ存在でした。

そのため玲琳は一人の人間というより、「自分がなれなかった理想そのもの」に近かった。

だから奪いたくなったんです。

ところが実際に玲琳の身体で暮らした慧月は、その理想像が現実ではなかったことを知ります。

起きる。

歩く。

食べる。

笑顔で人と接する。

健康な慧月なら無意識にできていたことすら、玲琳の身体では大仕事でした。

それでも玲琳は自分の苦しさを他人へぶつけず、できることを探して前へ進み続けてきた。

慧月にとって玲琳は、手に入れれば幸せになれる「完成品」ではなくなったわけです。

そして第二幕では、さらに一歩進みます。

玲琳にも弱さがあると知る。

雲嵐の危機に動揺し、自分を責め、立ち上がれなくなる玲琳を見る。

その玲琳へ今度は慧月が言葉を返す。

「玲琳は強いから助ける必要がない」という関係から、「強い玲琳だって支えていい」という関係へ変わる。

個人的には、これが第二幕最大の到達点だと思います。

しかも玲琳側にも変化があります。

玲琳は他人へ優しい。

でもその優しさは、ときどき相手の気持ちを置き去りにするほど一直線です。

自分が傷つけば済むなら迷わず傷つく。

自分が危険を引き受ければ誰かが助かるなら、相談する前に飛び込んでしまう。

玲琳本人にとっては善意でも、彼女を大切に思う人間からすればたまりません。

そして、その問題が真正面から爆発するのが第三幕です。

第二幕で「友達になった」からこそ、第三幕では慧月が玲琳へ遠慮せず怒れるようになります。

仲良くなったら喧嘩しなくなるのではなく、仲良くなったからこそ本気で喧嘩できる。

この流れがすごく自然なんですよね。


第三幕「鑽仰礼」とは?玲琳と慧月はなぜ大喧嘩する?

第三幕「陰謀だらけの鑽仰礼」は、第二幕の豊穣祭から約三月後に始まります。

鑽仰礼とは、五家の雛女の序列を決める中間審査です。

原作5巻の公式紹介によると、雛女には三つの課題が与えられ、皇帝や国の重鎮が直接審査する各家にとって非常に重要な儀式です。

参加するのは、黄家の黄玲琳、朱家の朱慧月、金家の金清佳、藍家の藍芳春、玄家の玄歌吹。

アニメ公式の人物紹介では、清佳は美や芸術を尊び誇り高い人物、芳春は控えめな雰囲気で詩歌と書を得意とする人物、歌吹は五人の中で最年長で武技にも秀でる人物として紹介されています。

さらに現世代の妃も深く関係します。

清佳の後見人は金家の淑妃・金麗雅、芳春の後見人は藍家の徳妃・藍芳林、歌吹の後見人は玄家の賢妃・玄傲雪です。

ここが第三幕を理解するうえでかなり重要です。

鑽仰礼で競っているのは五人の少女だけではありません。

背後には五家があり、さらに現世代の妃たちがいる。

雛女の順位が、そのまま家同士の力関係へ響きかねない。

だから本人たちが純粋に実力勝負をしたくても、周囲はそうさせてくれません。

玲琳自身は序列への執着が強くありません。

しかし慧月にとって鑽仰礼は違います。

最初の事件で信用を失い、第二幕でようやく自分の足で前へ進み始めた慧月にとって、自分が積み重ねてきたものを証明する大舞台です。

当然、玲琳は全力で応援します。

ところが、その二人が大喧嘩します。

原作5巻の公式紹介でも二人の間に揉め事が起きることが大きく扱われ、コミカライズ10巻では喧嘩別れした二人の状況を妃たちが利用し、関係がさらにこじれていく展開が示されています。

では、なぜ喧嘩するのか。

根にあるのは、玲琳の自己犠牲的な行動です。

玲琳は誰かを助けるとなれば、自分が危険な目に遭うことをほとんど問題にしません。

第二幕までなら「さすが玲琳」で進んだ場面でも、慧月はもう黙っていられない。

玲琳が大切になってしまったからです。

第1巻の慧月なら、玲琳が危険な行動を取っても止める理由はありませんでした。

第三幕では、「どうして自分自身の命をもっと大切にしないの」と怒る側になっています。

これ、友情の変化としてものすごく大きいと思います。

慧月は玲琳を崇拝しているわけでも、玲琳の言うことなら全部正しいと思っているわけでもない。

間違っていると思えば、本気で怒る。

玲琳も玲琳で、慧月の意見だから無条件に従うわけではありません。

対等になったから衝突する。

だから第三幕の喧嘩は、友情が壊れた証拠ではなく、むしろ「一方的に救う関係」を卒業した証拠に見えるんです。

※画像はAIによるイメージ

鑽仰礼の結末は?歌吹の復讐と五家の雛女が共闘するまで

鑽仰礼編の結末は、玲琳たち五家の雛女が協力し、後宮で長く積み重なってきた不正を公の場で暴く展開です。

第三幕序盤では、誰を信用すればいいのか分からない状態が続きます。

鑽仰礼の「初の儀」では事件が起き、コミカライズ9巻では玲琳と慧月が天幕の下敷きになる展開まで描かれています。

その裏では金麗雅が清佳へ圧力をかけ、藍芳林も芳春を自分たちの思惑へ巻き込んでいきます。

清佳や芳春は玲琳たちの敵のように見える場面がありますが、二人自身が後見人である妃たちの権力に追い詰められている面もある。

ここで本作は、第一幕と同じ問いをもう一度出してきます。

「悪いことをした人物=最初から最後まで悪人なのか?」

慧月のときと同じです。

行動には責任がある。

でも、その行動だけを見て事情まで決めつけてはいけない。

さらに事件を大きく動かすのが玄歌吹です。

一迅社による原作6巻の紹介では、歌吹の「強い殺意」と「凶行」が第三幕の大きな謎として示されています。

歌吹が抱えていたのは、亡くなった姉・舞照を巡る復讐心でした。

姉の死の真相を追い続けていた歌吹は、誤解から玲琳へ疑いを向け、危険な行動へ出ます。

玲琳は命の危機に陥りますが、慧月が救出へ動き、その過程で二人は再び入れ替わることになります。原作6巻の公式紹介でも、玲琳が襲われて窮地に陥ったあと、慧月の助けを経て再び二人が入れ替わることが明かされています。

ここで、シリーズの「入れ替わり」の意味が決定的に変わります。

最初の入れ替わりは、慧月が玲琳から奪うため。

第二幕の入れ替わりは、追い詰められた慧月の暴走による事故。

第三幕の入れ替わりは、二人が危機を突破するために互いを助ける中で起こるもの。

奪うために始まった術が、相手を救うための力になっている。

僕は、この変化こそ『雛宮蝶鼠とりかえ伝』という物語の芯だと思います。

さらに歌吹の姉を巡る過去を追う中で、祈禱師・安妮を中心とした不正が浮かび上がります。

歌吹が本当に求めていたのは、ただ誰かを傷つけることではありません。

姉が不当に奪われた名誉を取り戻し、何が起きたのかを明らかにすることでした。

そこで玲琳が選ぶのは、闇の中で相手を消すような復讐ではありません。

原作6巻の公式紹介でも、事情を知った玲琳と慧月が五家の雛女たちと力を合わせ、「盛大で公明正大な復讐劇」へ動き出すことが第三幕のクライマックスとして示されています。

つまり、証拠を揃え、衆目の前で真実を明らかにし、言い逃れのできない形で責任を取らせる。

力任せではなく、制度と知恵を使ってひっくり返すんです。

終の儀では、五家の力を結集した鏡が重要な役割を果たし、安妮が築いてきた「神通力」の欺瞞と過去の不正が暴かれていきます。

最終的に歌吹の姉が遺した技術と名誉も公に認められ、その鏡は皇帝によって「照真鏡」と名付けられます。

ここで歌吹の復讐は、「誰かを殺して終わる復讐」ではなく、「奪われた真実と名誉を取り戻す復讐」へ変わります。

この着地が本当に本作らしい。

怒りを否定しているわけではないんです。

むしろ「怒っていい」「やり返していい」。

ただし、その怒りを何へ変えるのかが問われている。

玲琳の強さは、復讐心の存在をきれいごとで否定せず、より後悔の少ない戦い方へ相手を引っ張っていけることなのだと感じます。

そして清佳、芳春、歌吹まで含めた五家の雛女が同じ側へ立ちます。

最初から仲良しだったわけではありません。

玲琳を陥れようとした者もいる。

誤解から玲琳の命を脅かした者もいる。

互いに競争相手でもあります。

それでも事情を知ったあと、「家が違うから敵」という関係を続けるのか、自分たち自身の意思で関係を選び直すのか。

五人は後者へ進みます。

だから第三幕の結末は、「玲琳がまた全部解決した」で片付けると魅力が半分になってしまいます。

玲琳に影響された慧月が玲琳を救う。

玲琳と慧月に触れた清佳、芳春、歌吹も、自分の意志で戦うことを選ぶ。

一人の強さが、周囲の人間まで強くしていく。

この連鎖が完成するのが鑽仰礼編です。


第二幕から第三幕で「悪女」の意味はどう変わる?考察

第二幕から鑽仰礼まで通して読むと、『ふつつかな悪女ではございますが』というタイトルの「悪女」がかなり違って見えてきます。

筆者として最も注目したいのは、この作品が「悪女かどうか」を本人の行動だけでなく、誰がその評価を作ったのかまで掘り下げることです。

慧月は確かに玲琳を陥れました。

だから「実は何も悪くありませんでした」という話ではありません。

でも、その一件だけで慧月という人物のすべてを決めてしまえば、彼女が変化したあとの姿を見ることができない。

第二幕ではまさに、その問題が描かれます。

慧月は努力している。

以前とは違う。

それでも周囲には昔の「悪女・朱慧月」という評判が残っている。

そして悪評が残っているからこそ、何か事件が起きれば「慧月ならやりそう」と疑われる。

これはかなり恐ろしい構造です。

一度貼られたラベルが、その後の出来事までラベルに合わせて解釈させてしまう。

第三幕では、その構造が清佳、芳春、歌吹へ広がります。

表面だけを追えば、「玲琳を邪魔する雛女たち」です。

でも一段奥へ入ると、清佳には清佳の追い詰められ方があり、芳春には芳春の事情があり、歌吹には姉を巡る過去と復讐があります。

つまり本作が繰り返しているのは、

「何をしたのかを見る」→「なぜそうしたのかを知る」→「知ったうえでどう向き合うか決める」

という流れです。

事情があれば何をしても許される、という話ではありません。

玲琳だって必要ならきっちり反撃します。

ただ、事情を知らずに相手を「悪女」と決めつけることもしない。

このバランスが、本作を単純な勧善懲悪にしていない理由だと思います。

もう一つ、第二幕と第三幕を続けて読むと見えてくるのが、入れ替わりというギミックの成長です。

第一幕では、玲琳と慧月は文字どおり相手の身体に入らなければ、相手の世界を理解できませんでした。

慧月は玲琳の身体になって初めて、病弱な身体で日常を送る苦労を知る。

玲琳は慧月の身体と立場になって初めて、「悪女」として周囲から扱われる世界を見る。

でも第二幕以降は違います。

玲琳は雲嵐の事情を知ろうとする。

慧月は玲琳の痛みを想像する。

第三幕では清佳、芳春、歌吹の事情にも目を向ける。

もう本人にならなくても、相手の立場を考えようとしているんです。

「あなたにならなければ分からない」から、「あなたにはなれなくても、分かろうとすることはできる」へ。

僕はこれが、第二幕から第三幕へ進むことで加わる本作の大きなテーマだと考えています。

さらに面白いのが鑽仰礼という舞台そのもの。

鑽仰礼は五人を比べ、順位をつけるための制度です。

本来なら五人を分断する行事ですよね。

ところが、その行事を通して五人は互いの事情を知り、最終的には一緒に戦うようになる。

競わせるための舞台が、結果として五人を結びつける舞台になる。

この皮肉な逆転がとても気持ちいい。

しかも、五人が仲間になったからといって同じ性格にはなりません。

玲琳は相変わらず玲琳。

慧月は短気で激しいところを残している。

清佳は誇り高い。

芳春は頭が切れる。

歌吹は寡黙です。

「玲琳のような善人になる」のではなく、それぞれの個性を持ったまま協力する。

これは作品の群像劇としてかなり大切なポイントだと思います。

第一幕は玲琳と慧月、二人の物語。

第二幕では二人の関係に外の世界が入り込む。

第三幕では五家全体へ広がる。

その先では皇帝や道術そのものの扱い、国を取り巻く問題へ物語がさらに拡大していきます。

実際、第三幕後の原作7巻では、皇帝に慧月が道術遣いだと知られる危険を避けるため、玲琳と慧月は雛宮内で入れ替わりを解消しないよう求められ、城外で元に戻る方法を探すことになります。

つまり鑽仰礼の終結はゴールではありません。

五人がつながったことで、今度はその力をもっと大きな問題へ向けられるようになる。

シリーズ全体で見ると、第三幕は「玲琳と慧月の物語」から「五家と詠国を巻き込む物語」へ変わる境目なんです。


まとめ|第二幕の豊穣祭から鑽仰礼は五家の物語へ広がる転換点

『ふつつかな悪女ではございますが』第二幕「はじめての外遊編」は、原作小説3〜4巻、コミカライズ5〜8巻で描かれます。

朱家の南領で行われる豊穣祭を前に、慧月は度重なる妨害によって追い詰められ、道術を暴走させて玲琳と再び入れ替わります。

その後、玲琳は邑へ連れ去られ、疫病や雲嵐の危機へ直面。

一方の慧月は玲琳の身体で茶会に挑み、自分自身の悪評と正面から戦います。

第二幕で大きく変わるのは、玲琳と慧月の関係です。

玲琳だけが慧月を救うのではなく、慧月も玲琳を支えるようになる。

「憧れと嫉妬」だった関係が、互いの弱さまで見せられる友情へ変化します。

続く原作5〜6巻の第三幕では、五家の雛女の序列を決める中間審査「鑽仰礼」が開催。

黄玲琳、朱慧月、金清佳、藍芳春、玄歌吹の五人が、家や妃たちの思惑によって複雑に対立していきます。

玲琳と慧月も自己犠牲を巡って大喧嘩。

さらに歌吹の姉を巡る復讐と祈禱師・安妮の不正が重なり、玲琳自身も命の危機へ追い込まれます。

それでも最後に生まれるのは、五家の雛女たちの共闘です。

競争相手だった五人が、自分たちを利用する構造そのものへ反撃する。

第二幕から第三幕をひと言で表すなら、「玲琳と慧月の友情が、五家の雛女による群像劇へ育っていく物語」でしょう。

そして入れ替わりも、「相手から奪う術」から「相手を知るための経験」、さらに「相手を救うための力」へ意味を変えていきます。

入れ替わりコメディとして読み始めた人ほど、このあたりから『ふつつかな悪女ではございますが』という作品の奥行きに驚かされるはずです。


よくある質問

『ふつつかな悪女ではございますが』第二幕は原作何巻?

第二幕「はじめての外遊編」は原作小説3〜4巻です。

コミカライズでは5巻から始まり、8巻で豊穣祭を巡る第二幕が完結します。

鑽仰礼編は原作何巻?結末はどうなる?

第三幕「陰謀だらけの鑽仰礼」は原作小説5〜6巻です。

五家の雛女が三つの課題で序列を競いますが、最終的には玲琳・慧月・清佳・芳春・歌吹が協力し、祈禱師を巡る不正と過去の因縁へ決着をつけます。

コミカライズの鑽仰礼編は何巻から?

コミカライズでは9巻から第三幕・鑽仰礼編が始まります。

2026年9月19日時点では10巻まで発売済みで、11巻は2026年9月30日発売予定です。原作6巻までの鑽仰礼の結末を漫画版がどのように描くのかも注目ポイントです。

執筆:涼風 結人(アニメ情報ナビゲーター)

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