『ふつつかな悪女ではございますが』は2026年9月19日現在、原作小説・漫画ともにまだ完結していません。
原作小説は第12巻まで発売済みで、2026年9月30日発売予定の第13巻から本編クライマックスとなる最終幕へ突入します。ただし、第13巻そのものが最終巻だとは現時点で確認できません。
漫画版も完結前で、現在は第10巻まで発売済み。第11巻は原作13巻と同じ2026年9月30日発売予定です。
まず「完結した?」「13巻が最終巻?」「漫画は何巻まで?」という疑問に、まとめて答えると次の通りです。
確認したいこと 2026年9月19日現在
原作小説は完結した? 未完結
原作小説は何巻まで? 12巻まで発売済み
原作13巻はいつ? 2026年9月30日発売予定
13巻は最終巻? 現時点では確認できない
13巻の位置づけ 本編クライマックス・最終幕へ突入
漫画版は完結した? 未完結
漫画版は何巻まで? 10巻まで発売済み
漫画11巻はいつ? 2026年9月30日発売予定
Web版で本編を最後まで読める? 現在は読めない
シリーズ最終結末は判明した? まだ未公開
つまり現在の『ふつつかな悪女ではございますが ~雛宮蝶鼠とりかえ伝~』は、「最終章には入るが、作品そのものはまだ終わっていない」という段階です。
ここからは原作小説、漫画、Web版を混同しないよう整理しながら、玲琳と慧月の物語が現在どこまで進み、最終幕で何が焦点になりそうなのかまでネタバレありで解説します。
『ふつつかな悪女ではございますが』は完結した?
結論から言うと、2026年9月19日現在、原作小説本編はまだ完結していません。
『ふつつかな悪女ではございますが ~雛宮蝶鼠とりかえ伝~』の原作は中村颯希さん、イラストはゆき哉さん。書籍版は一迅社ノベルスから刊行されています。
現在発売されている本編最新刊は、2026年3月31日発売の第12巻です。
第12巻は第七幕「雨の黄家帰省」編。一迅社の紹介でも「クライマックス直前」と位置づけられており、金領での事件を終えた玲琳たちが黄家へ立ち寄る物語が描かれます。
そして次の第13巻は、2026年9月30日発売予定。
一迅社の刊行予定でも第13巻の発売日は9月30日と案内されており、ISBNは9784825101487、定価は1,540円(税込)です。価格や販売状況は変更される場合があるため、購入時には最新情報を確認してください。
ここで最も注意したいのが、
「最終幕に入る」=「13巻が最終巻」ではない
という点です。
13巻から本編クライマックスへ進むことは分かっていますが、2026年9月19日時点で確認できる一迅社の書籍情報には、第13巻を「最終巻」とする表記はありません。
本作では、これまで一つの幕を複数巻で描いた例もあります。
たとえば第二幕は3〜4巻、第三幕は5〜6巻、第六幕は10〜11巻にまたがって展開しました。
そのため最終幕も13巻だけで終わる可能性はもちろんありますが、14巻以降へ続く可能性も残されています。
今の段階で確実に言えるのは、
「12巻時点では未完結」「13巻から物語が最後の大きな局面へ入る」
というところまでです。
「13巻=最終巻」と決めつけないことが、現在の情報を整理するうえで一番大切なポイントでしょう。
13巻は最終巻?なぜ「完結した」と勘違いされやすい?
『ふつつかな悪女ではございますが』が完結したように見えやすい理由は、「最終幕」「Web版本編の公開終了」「掌編集」という別の情報が重なっているためです。
検索結果に「最終」「終了」といった言葉が並べば、「もう完結したのかな?」と思ってしまいますよね。
ただ、この三つはそれぞれ意味が違います。
まず、原作13巻。
2026年3月31日発売の12巻が「クライマックス直前」とされ、13巻から本編最後の大きな局面へ進みます。
これはシリーズがすでに終了したという意味ではありません。
次にWeb版です。
本作はもともと「小説家になろう」で公開されていましたが、現在残っている番外編ページには、本編は2021年4月23日に公開を終了したと明記されています。
ここでの「公開終了」は、
「Web版が完結して最終回まで無料公開されている」
という意味ではありません。
現在はWeb版本編そのものを最初から最後まで通読できず、番外編ページが残っている状態です。
つまり、
「Web版本編の公開終了」≠「シリーズの最終結末をWebで読める」
ということです。
そしてもう一つ混同しやすいのが、2026年8月31日に発売された『ふつつかな悪女ではございますが掌編集1 ~雛宮蝶鼠とりかえ伝~』。
こちらはシリーズ初の掌編集で、1〜6巻の購入特典ショートストーリーやWeb掲載の閑話など、計32編を収録した短編集です。
本編13巻とは別シリーズ扱いなので、掌編集1を「シリーズ完結後の短編集」と考える必要もありません。
むしろ現在は、
- 8月31日:掌編集1発売
- 9月30日:原作小説13巻発売予定
- 9月30日:漫画11巻発売予定
と関連書籍の動きが集中しています。
そのため、検索するときは「原作小説」「漫画」「掌編集」を分けて確認するのがおすすめです。
この整理をするだけで、「何が完結していて、何がまだ続いているのか」がかなり見えやすくなります。
漫画版『ふつつかな悪女ではございますが』は完結した?
漫画版も2026年9月19日現在、完結していません。
コミカライズは、中村颯希さん原作、ゆき哉さんキャラクター原案、尾羊英さん作画で展開されています。
現在発売済みなのは第10巻まで。
そして漫画第11巻は2026年9月30日発売予定で、通常版に加えて特装版も案内されています。
ここは原作小説との巻数を混同しやすいところです。
9月30日には、
原作小説=13巻
漫画=11巻
が同日に発売されます。
数字が近いうえ、どちらも『ふつつかな悪女ではございますが』なので、検索結果や通販ページだけを見ていると分かりづらいんですよね。
物語の進行度は、原作小説のほうが先です。
原作は12巻で第七幕「雨の黄家帰省」まで進み、13巻から最終幕へ入ります。
一方、漫画はまだ原作に追いついていません。
そのため、現在公開されている物語の先まで最速で追いたいなら原作小説ということになります。
ただし、漫画版には漫画版だからこその面白さがあります。
本作の核は「玲琳と慧月の身体が入れ替わる」という設定。
文章では内面描写を通して「誰がどちらの身体にいるのか」を理解しますが、漫画では目つき、表情、立ち方、動きの勢いまで含めて、その違いを視覚的に表現できます。
慧月の身体なのに、堂々としていて妙に前向きな玲琳。
玲琳の美しい身体なのに、不安や焦燥がにじむ慧月。
この「見た目は同じなのに、中身の人物によって全然違って見える」という面白さは、コミカライズとの相性がかなり良いと僕は感じています。

原作を先まで読んだあとに漫画へ戻ると、「このときの慧月はこんな表情をしていたんだ」と別の発見ができるのも魅力です。
完結を急いで追うなら原作。
二人の表情や距離感までじっくり味わうなら漫画。
同じ物語でも、楽しみ方はかなり違います。
結末まで今すぐ読める?玲琳と慧月の入れ替わりはどうなった?
シリーズ全体の最終結末はまだ読めませんが、第1巻から始まった最初の入れ替わり事件には、すでに決着がついています。
ここからは物語序盤以降のネタバレを含みます。
物語の始まりは、詠国の後宮「雛宮」。
次代の皇后候補として高く評価され、「殿下の胡蝶」と呼ばれる黄玲琳と、周囲から「雛宮のどぶネズミ」と蔑まれていた朱慧月の身体が入れ替わります。
入れ替わりを行ったのは慧月でした。
慧月は玲琳への嫉妬や劣等感を抱え、道術によって互いの身体を交換します。
玲琳は慧月の身体へ押し込められただけでなく、罪まで負わされ、処刑の危機へ追い込まれます。
普通の入れ替わり作品なら、主人公が絶望するところでしょう。
ところが玲琳は違いました。
病弱で、息切れや失神が日常だった玲琳にとって、慧月の身体は驚くほど健康。
粗末な環境へ追いやられているにもかかわらず、自由に走り回れる身体を手に入れたことへ喜びすら感じます。
この発想の逆転こそ、本作の面白さが一気に爆発する瞬間だと僕は思っています。
「お嬢様が不幸な身体へ落とされた」のではありません。
玲琳の価値観から見れば、
「初めて健康という自由を手に入れた」
とも言えるわけです。
一方、玲琳の身体を得た慧月は、誰もが憧れていた黄玲琳の人生が、決して楽なものではなかったと知っていきます。
美貌。
家柄。
周囲からの信頼。
慧月が欲しがったものの裏側には、病弱な身体と共に生きながら努力を積み重ねてきた玲琳の人生がありました。
さらに物語では、慧月だけですべてが動いていたわけではなく、朱雅媚が彼女の感情を利用して自らの企みに巻き込んでいたことも明らかになります。
もちろん、それで慧月自身の行動の責任が消えるわけではありません。
ただ本作は、「悪いことをした人物だから最後まで悪役」と単純化しないんですよね。
過ちを犯した人物が、その後何を見て、何を後悔し、誰を守ろうとするのか。
そこまで描くからこそ、慧月というキャラクターが巻を追うごとに魅力を増していきます。
最初の事件が解決すると、玲琳と慧月は一度それぞれ元の身体へ戻ります。
しかし、そこで「とりかえ」の物語が終了するわけではありません。
その後も二人は必要に応じて入れ替わります。
ここで非常に重要なのが、同じ入れ替わりでも目的が完全に変化していることです。
序盤では、
慧月が玲琳から人生を奪うための入れ替わり
でした。
物語が進んだあとは、
玲琳と慧月が互いを守り、危機を突破するための入れ替わり
へ変わっていきます。
僕はこの変化が、本作最大の魅力の一つだと感じています。
入れ替わりは単なる設定ではありません。
玲琳と慧月の関係がどこまで変わったのかを測る「物語の物差し」になっているんです。
原作12巻では結末へどこまで近づいた?
第12巻では、シリーズ開始時から存在していた「玲琳の病弱な身体」が、最終局面の問題として改めて真正面に置かれます。
第12巻「雨の黄家帰省」編では、金領の騒動を終えた玲琳たちが帰路につきます。
しかし、玲琳の体調を心配する慧月は、「気が枯渇して入れ替わりを解消できない」と嘘をつきます。
そこで玲琳が提案したのが黄家への寄り道でした。
入内して以来となる玲琳の帰郷です。
黄家で慧月が触れることになるのは、玲琳の両親、玲琳が育った環境、そして彼女がずっと抱えてきた「死との距離の近さ」。
一迅社の12巻紹介でも、迫る死を淡々と受け入れる玲琳と、それに抗おうとする慧月という対照的な構図が示されています。
この関係、本当に第1巻とは真逆なんですよね。
第1巻の慧月は玲琳になりたかった。
玲琳の美しさが欲しかった。
玲琳の立場が欲しかった。
玲琳へ向けられる愛情が欲しかった。
つまり慧月は、「黄玲琳の人生」を奪おうとしていました。
ところが12巻まで来ると、その慧月が誰よりも玲琳を失うことを恐れています。
玲琳になりたかった慧月が、玲琳を生かしたい慧月へ変わった。
この反転は、シリーズを最初から追ってきた読者ほど刺さるポイントではないでしょうか。

そして僕がもう一つ重要だと感じているのが、玲琳自身の変化です。
物語序盤では、玲琳の「死を恐れない姿勢」は圧倒的な強さとして描かれていました。
処刑の危機でも折れない。
危険を前にしてもためらわない。
虚弱な身体と、とんでもなく頑丈な精神。
このギャップが玲琳の痛快さを生み出していました。
でも12巻まで追うと、その強さを別の角度から見る必要も出てきます。
玲琳が死を恐れないことと、
玲琳が自分の命を大切にできていること
は、本当に同じなのでしょうか。
幼い頃から病弱で、死があまりにも身近だった玲琳。
だからこそ「自分は長く生きられないかもしれない」という未来を、人より自然に受け入れてしまっているとも読めます。
最初は強さに見えた部分が、物語の終盤では玲琳自身が乗り越えるべき心の壁として見え始める。
ここが、長期シリーズだからこそできる人物描写だと僕は感じています。
最終幕で何が描かれる?「星に願いを。」から考察
ここからは第12巻までの流れを踏まえた筆者の考察です。最終結末として確定した情報ではありません。
第13巻から物語はいよいよクライマックスへ進みます。
僕が最終幕で最も気になっているのは、「誰かを倒せば終わり」という結末ではなく、玲琳と慧月がそれぞれ自分の人生をどう選ぶのかです。
まず注目したいのは慧月。
物語開始時の慧月が望んだものを一言で表すなら、
「自分ではない誰かになりたい」
という願いだったように思えます。
玲琳の身体。
玲琳の立場。
玲琳に向けられる愛情。
自分にはないものを全部持っているように見えた玲琳だからこそ、慧月は「黄玲琳になれば幸せになれる」と考えたのでしょう。
でも実際に玲琳の身体を生きてみると、その人生には見えていなかった痛みがありました。
そして今の慧月は、玲琳になることよりも、玲琳本人が生きていることを大切にしています。
もし最終幕で慧月が何かを願うなら、最初の頃とはまったく違う願いになっているはずです。
僕は、この「願いの変化」こそが慧月の成長を象徴するのではないかと考えています。
そして、もっと重要なのが玲琳です。
玲琳は最初から精神的に完成された主人公に見えました。
どんな逆境にも負けない。
嫌な出来事すら前向きに捉える。
周囲の人間を自然と巻き込んでしまう。
ただ、長く読んでいると一つだけ引っかかる部分があります。
玲琳自身は、自分が生き続けることをどれほど望んでいるのか。
死を恐れないことは勇敢です。
けれど、死を恐れない人が「生きたい」と心の底から望むことは、それとは別の強さかもしれません。
慧月や家族、尭明、辰宇、景彰、雛宮の仲間たち。
物語の開始時と比べれば、玲琳の周囲にははるかに多くのつながりがあります。
だからこそ最後に玲琳自身が、
「まだこの人たちと一緒に生きたい」
と思えるのか。
僕はそこが、病弱という設定そのものの解決以上に重要だと感じています。
最初は慧月が「玲琳の人生」を欲しがった。
もし最後に玲琳自身が「自分の人生をもっと生きたい」と願えるなら、物語の始まりと終わりがきれいにつながります。
そしてもう一つ。
シリーズ名にも入っている「とりかえ」は、最後にどんな意味を持つのでしょうか。
入れ替わりは最初、相手の人生を奪うための行為でした。
その後は相手を助けるための力になりました。
でも物語の最終地点として考えるなら、二人が永遠に相手の身体を必要とすることだけが答えとは限りません。
最初は玲琳になりたかった慧月。
自分の命を軽く扱ってしまうほど死に慣れていた玲琳。
そんな二人が最後には、
「この身体で、この名前で、この人生を生きたい」
と思えるようになる。
もしそこまで描かれるなら、『雛宮蝶鼠とりかえ伝』というタイトルの意味も、序盤とはまったく違って見えてくるはずです。
この作品は「他人の身体になってみたら大変だった」というだけの入れ替わり物語ではありません。
相手として生きることで相手を知り、
相手を知ることで自分を見る目まで変わっていく物語です。
だから最終幕で本当に問われるのは、最後にどちらの身体へ入っているかではなく、玲琳と慧月が自分自身の人生をどう受け入れるかなのではないでしょうか。
ここまで積み重ねられてきた二人の関係を考えると、僕はそこにこそ本作らしい結末の鍵があると感じています。
まとめ|『ふつつかな悪女ではございますが』は未完結、13巻から最終局面へ
『ふつつかな悪女ではございますが ~雛宮蝶鼠とりかえ伝~』は、2026年9月19日現在まだ完結していません。
原作小説は2026年3月31日発売の第12巻まで刊行済みで、第13巻は2026年9月30日発売予定です。
ただし、13巻から本編クライマックスへ進む一方で、「13巻がシリーズ最終巻」とする情報は現時点では確認できません。
漫画版も未完結。
現在は第10巻まで発売されており、漫画第11巻も2026年9月30日に発売予定です。
また、「小説家になろう」で公開されていたWeb版本編は2021年4月23日に公開終了しているため、現在Web上でシリーズの最終結末まで無料で読み切ることもできません。
一方、第1巻から始まった玲琳と慧月の最初の入れ替わり事件にはすでに決着しています。
二人は元の身体へ戻ったあとも関係を続け、入れ替わりは「人生を奪う手段」から「相手を守るための手段」へ変わりました。
そして第12巻まで来ると、物語の中心は単純な入れ替わりから、
「玲琳はこれからも生きられるのか」
「慧月は玲琳を救えるのか」
「二人は自分自身の人生をどう選ぶのか」
というシリーズそのものの核心へ移りつつあります。
人生を奪うために始まった「とりかえ」が、いつしか相手の人生を守るための力になった。
この変化を知っているからこそ、最後に玲琳と慧月が何を選ぶのかは見届けたくなりますよね。
2026年9月現在は、まさに物語がゴール直前へ差しかかったタイミングです。
完結後に一気読みする楽しみもありますが、「最後の答えがまだ誰にも分からない」今だからこそ、二人の結末を考えながら追える面白さもあります。
よくある質問
『ふつつかな悪女ではございますが』は完結していますか?
いいえ。
2026年9月19日現在、原作小説本編は完結していません。第12巻まで発売済みで、第13巻は2026年9月30日に発売予定です。
『ふつつかな悪女ではございますが』13巻は最終巻ですか?
現時点では断定できません。
第13巻から物語が本編クライマックスへ進みますが、一迅社の現在の書籍情報では「13巻が最終巻」とする表記までは確認できません。
『ふつつかな悪女ではございますが』の結末までWebで読めますか?
現在は読めません。
「小説家になろう」で公開されていた本編は2021年4月23日に公開終了しており、現在残っているのは番外編ページです。シリーズ全体の最終結末も2026年9月19日時点ではまだ公開されていません。
執筆:涼風 結人(アニメ情報ナビゲーター)


